2022年12月7日水曜日

1996年夏の〈町田ノイズ〉――境界の空間

1┃私が最も足しげく〈町田ノイズ〉@machidanoise に通った時期は、おそらく1996年の夏休みだったと思う。おおよそランチのピークが過ぎた13時すぎ頃に店に入り、Bランチを食べ、アイスコーヒーを飲みつつ研究論文を読み込んでいた。当時の自分にとっては、「思考する」のに最も適した場だったのだ。→
[https://twitter.com/travelinswallow/status/1089432911441358848]

2┃もちろん、つねに/ただ「思考」していたわけではない。ふと無心になれる時間も必要だった。それは思考に挟み込まれるように、一定のリズムで断続的に訪れることが理想とされる時間だ。ノイズの空間性と、暗さと、ジャズの「鳴り」は、それを自然に可能にしてくれていた。つまりそういうことだ。→
[https://twitter.com/travelinswallow/status/1089432912880009216]

3┃当時厨房を司っていた(と私が記憶している)のは、2人の女性だった。そのうち一人はいまの店長である。2人は外見のタイプは異なったが、いずれもクールな佇まいで、店の雰囲気を体現していたと言い表して差し支えない存在だった。おもしろかったのは、2人が盛るライスの量が一律に違ったことだ。→
[https://twitter.com/travelinswallow/status/1089432914054459392]

4┃その「差」が何に起因したものだったのかは当時もいまもわからないし、永遠に謎としておいてよいと思っている。そういう、特に言語化しない点も含めて、ノイズの体験というのは私の身体に沁み込んでいるものだ。日常と非日常の間の、簡単に跨げる淡い境界線上に位置する空白地帯。それがノイズ。→
[https://twitter.com/travelinswallow/status/1089432915396591616]

5┃ノイズを出て、〈Tahara〉でCDをチェックしたりしたのち、ジョルナから外に出る。すると眩しい光と、熱気や湿気、行き交う車と人の騒音が、たちまち自分に纏わりついてくる。それは現実に戻る感覚というよりも、むしろ「仮」の世界に入っていくような趣があった。ノイズは世界を反転させていた。▲
[https://twitter.com/travelinswallow/status/1089432916793253889]

2019年1月27日
村上 潔[Kiyoshi Murakami]