2022年12月9日金曜日

「たぬき」とは「誰」か?(1)――『大岡越前』の場合

【以下の原稿は、2014年にとあるWebマガジンの編集部から依頼を受けて執筆したものです。「“狸”にまつわる音楽や映画についてのリレーコラム」を、という執筆依頼でした。その第1回の原稿として寄稿(2014年11月1日入稿)したのが、以下のものです。予定では、第3回・第5回……と、奇数回を私が担当することになっていました。しかし、この原稿が掲載される前に、そのWebマガジンの更新が止まってしまい、結果としてこの原稿は「お蔵入り」となりました。その後ずっと放置していましたが、先日ふとその存在を思い出し、せっかくなのでこの機会に公開することにしました。楽しんでいただければ幸いです。万が一好評を得られた暁には、第2回の執筆も検討したいと思います。どうぞよろしくお願いします。[2020年2月 村上潔 *PDF版作成にあたって]】
【ブログ掲載にあたり、ごくわずかな加筆修正を行ないました。[2022年12月 村上潔]】



 突然だが、私が「たぬき」と聞いてまず思い浮かべるのは、『大岡越前』である。
 そう、1970年から1999年にかけて、全15部が《ナショナル劇場》で放送された、TBSテレビの名物時代劇『大岡越前』だ。
 主演は加藤剛。実直さと、親しみやすいノーブル感が役柄にぴったりとはまっていた。彼の演じる大岡忠相のイメージは、多くの人が記憶していると思う。
 主な助演としては、妻・雪絵役の宇津宮雅代・酒井和歌子・平淑恵、医師・榊原伊織役の竹脇無我、母・妙役の加藤治子、同心・村上源次郎役の大坂志郎といったところ。初期には片岡千惠藏や志村喬も出演していた。ちなみに私は、観ていた当時は子どもだったのに、なぜか最も年配の大坂志郎さんがいちばん好きだった。役名(村上)も関係あるかもしれないが、そのひときわ円熟味のある存在感に惹かれたのだと思う。
 さて、そんな『大岡越前』に、忘れてはならないひとりのキャラクターが存在する。松山英太郎演じる、猿[ましら]の三次だ。三次は第2部の第2話から登場、レギュラーに定着する。三次は第11部まで登場するが、第5部だけ、松山英太郎の弟、松山省二(現:政路)が演じている。
 三次は、はじめ義賊的な盗っ人として物語に登場するが、捕まった際に忠相の温情に触れ、以降は小間物屋をしながら忠相の密偵として働くようになる。第3部では小間物屋から小料理屋に商売を変え、続く第4部では新たに船宿〈喜楽〉をオープンさせる。なかなか商売はやり手のようだ。その後、盗賊仲間のお葉(江波杏子)も密偵に加わり、〈喜楽〉で働くようになる。かなり人望もあることがわかる。
 そして、第5部において、三次の小料理屋の店名が〈たぬき〉であることに明確にされる。その後、第10部を除き、三次の店は〈たぬき〉として定着する。〈たぬき〉は、同心たちの憩の場であると同時に、さまざまな「わけあり」の女たちの受け皿(働く場)となっていく。物語全体のなかで、〈たぬき〉でくつろぐ忠助たちの描写で終わる回は多く、〈たぬき〉は『大岡越前』という物語においてとても重要な「場」となる。そこでは俗世間の大らかさが謳歌され、さまざまな人々が交じり合う。いわゆる「大岡裁き」の行なわれる聖的な空間である「お白洲[しらす]」と対称をなし、その両者が並存することで『大岡越前』の世界は成り立っているのである。
 人を欺く狡猾なイメージをもつ狸。しかし同時に人懐っこさ、憎めない愛らしさもあわせもつ。気どらぬ庶民が酒を酌み交わす小料理屋は、まさにそうしたイメージにぴったりだ。元盗賊で名奉行の密偵、という三次の設定もしかり。なかなかよくできている。
 では、ここで三次の存在のどこがおもしろいのかを列挙してみよう。まず単純に、“ましら”(猿)と称していたのに、出した店名が〈たぬき〉だということ。とりあえずややこしい。そして、店名は〈たぬき〉なのに、三次の顔はキツネ顔だということ。たまたま松山兄弟(英太郎・省二。たいへんよく似ている)がキツネ顔で、それだけといえばそれだけなのだが、このギャップがかなりおもしろい。
 ここまでは他愛のない――しかしけっこう決定的な――ことだが、次に二つ、少し気づきにくい事実を確認してみたい。
 まず、加藤剛と松山兄弟との関係である。両者の共演は『大岡越前』にとどまらない。同じく加藤剛が主演した人気時代劇『剣客商売』(フジテレビ/1973年4月~9月)の第1話「父と子と」では、松山省二が「鰻売りの又六」として出演している。そこで又六は、加藤剛演じる秋山大治郎に剣術の稽古を懇願し弟子入りする、という設定になっている。『大岡越前』での三次(松山英太郎)の登場は1971年5月。その約2年後に、弟・省二が同じような設定(加藤剛に仕える立場になる)で登場するのは、なかなかおもしろい。そして、「鰻売り」という、これまた生き物にちなんだ設定であることも目を引く。
 次に、松山英太郎のその他の時代劇出演を確認する。彼の時代劇のキャリアのなかで、三次役と並んで大きなウェイトを占めているのが、『江戸を斬る II』(TBSテレビ〔ナショナル劇場〕/1975年11月~1976年5月)~『江戸を斬る VI』(TBSテレビ〔ナショナル劇場〕/1981年2月~8月)での鼠小僧次郎吉役だ。ここでも彼は、主役(西郷輝彦演じる遠山金四郎)をサポートする役割。脇役のスペシャリストとして君臨している。そしてこちらでは「鼠」。やはり動物。三次も義賊として登場したので、ここも共通している。さらに、『VI』では、次郎吉はなんと小料理屋〈まさご〉の主人となる。これはまさに〈たぬき〉と完全に同じ流れだ。ちなみに、『江戸を斬る』では英太郎と省二は『I』(TBSテレビ〔ナショナル劇場〕/1973年9月~1974年3月)で、兄弟役として共演している。英太郎は葵小僧新助として、省二は一心太助としてである。
 続けて、弟・省二のその後の時代劇出演を確認してみよう。『江戸を斬る III』(TBSテレビ〔ナショナル劇場〕/1977年1月~7月)の第15話「狙われた亥の刻小僧」で、彼はなんと義賊を気どる盗っ人「亥の刻小僧三吉」を演じている。今度は「亥」(いのしし)。これは当然、兄・英太郎演じる「鼠小僧次郎吉」のパロディという設定である。それだけでも十分おもしろいが、三吉という名前が三次と非常に近い点も見過ごしてはならない。
 さらに省二は、同年の『新・必殺仕置人』(テレビ朝日/1977年1月~11月)の第20話「善意無用」では「軍鶏の清吉」として出演。こちらは軍鶏。やはり動物。そしてこの清吉は、かつて女性を助けるため過って人をあやめてしまい、いまはまっとうに材木問屋で働こうとしている設定。こうした「更生」プロセスはここでも踏襲されている。
 このように、松山英太郎・省二兄弟の時代劇におけるキャリアは、いずれも三次というモデルから派生し展開しているように見える。重要なのは、その三次という役を兄弟二人ともが実際に演じているということだ。これはかなり特異な事例といえるだろう(松山英太郎は、1977年に俳優からプロデューサーへの転身を図った。翌1978年、俳優に復帰するが、その間の俳優活動はブランクとなっている。省二が三次を演じたのは、この期間にあたる)。
 〈たぬき〉の話に戻ろう。『大岡越前』第11部放送終了後の1991年1月、松山英太郎は病気のため48歳の若さでこの世を去る。これにより、彼の演じる三次は観られなくなってしまった。私がいうまでもなく、本当に残念なことだ。再度、省二に三次役の依頼がなされたが、省二はこれを受けなかった。そこで制作サイドは、過去の映像を再編集するなどして、第12部第1話で三次が忠助をかばって殉職するシーンを設けた。
 そして、第12部以降、番組終了まで、〈たぬき〉は左とん平演じる「丁の目の半次」が引き継ぐことになる。とん平は、名前こそ“とん”(=豚)だが、見た目としてはかなり狸に近い。というかもう、こうなると狸にしか見えない。この話の着地点としては、なんだか拍子抜けするくらいできすぎたオチだが、ご寛容願いたい。そこからさらに、その左とん平は『おかあさん――たぬき屋の人々』(TBSテレビ/1985年)というドラマにも出演していて……という話につながるのだが、ここから先は次回に。


2014年11月1日
村上 潔[Kiyoshi Murakami]